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松前藩によって松前藩家臣が蝦夷の人々と交易

江戸時代ころになると、松前藩によって松前藩家臣が蝦夷の人々と交易を行う十ヶ所の場所とよばれる知行地が開かれた。

後に置かれた郡との相対は下記のとおりである。

ヤムクシナイ場所・・・後の山越郡
アブタ場所・・・後の虻田郡
ウス場所・・・後の有珠郡
ヱトモ場所・・・後の室蘭郡
モロラン場所・・・後の室蘭郡
ホロベツ場所・・・後の幌別郡
シラヲイ場所・・・後の白老郡
アヨロ場所・・・後の白老郡
ユウフツ場所・・・後の勇払郡および後の千歳郡南部(現千歳市)
※千歳郡南部は、ユウフツ場所に編入されたかつてのシコツ場所に相当する。
シュママップ場所・・・後の千歳郡北部(現恵庭市)
※シュママップ場所は石狩十三場所のひとつで、後の石狩国札幌郡南部(北広島市)も含んだ
江戸時代初期の寛永17年、内浦湾対岸にあたる渡島国域の駒ヶ岳が山体崩壊し大津波が発生、胆振国域で多数の犠牲者が出ている。この時の駒ヶ岳の大噴火は寛永の大飢饉にも影響を与えている。寛文9年6月、日高国域を中心に起こった和人と蝦夷との戦いシャクシャインの乱によって、胆振国域内でも多くの和人が惨殺された。蝦夷軍(アイヌ)は松前に攻め込む勢いであったが、鉄砲を主力とする松前藩との山越郡域のクンヌイ(現長万部町国縫)における戦いで形成は逆転、後に平定されている。

その他、胆振国域では古くから火山活動が盛んである。虻田郡域の有珠山は寛文3年、明和6年、文政5年、嘉永6年に噴火しており、特に文政5年の噴火では火砕流によって虻田の集落が全滅、多数が犠牲になるなど大きな被害を出している。勇払郡域と千歳郡域に跨る樽前山は寛文7年、元文4年、文化元年に噴火している。また、蟠渓温泉や最上徳内の『蝦夷草紙』にも記された登別温泉などが古くから知られている。
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江戸時代後期、胆振国域は東蝦夷地に属していた(山越郡域は和人地)。国防のため寛政11年東蝦夷地は天領(幕府直轄地)とされたが、文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となりホロベツ以西は南部藩がシラヲイ以東は仙台藩が警固を担当した。このとき南部藩は室蘭郡域(元陣)とヤムクシナイのヲシャマンベ(分屯所)に、仙台藩はシラヲイにそれぞれ陣屋を設けている。戊辰戦争時、江戸開城後成立した蝦夷共和国に開拓奉行(室蘭奉行)が設けられ、室蘭に250名が移住し箱館戦争終結まで開拓と守備を行った。

明治2年(1869年)8月15日に胆振国がおかれた。
明治3?4年(1870年から1871年)本願寺道路が建設された。
明治5?6年(1872年から1873年)札幌本道が建設された。
明治15年(1882年)2月8日、廃使置県にともない山越郡は函館県の、それ以外の全域は札幌県の所管となる。

寺院・神社 [編集]
寺院は比叡山の僧・慈覚大師が天長3年(826年)に開山したと伝わり、江戸時代には蝦夷三官寺のひとつとされた有珠善光寺がかつて有珠郡の一部だった伊達市にある。

神社は戦国時代にすでに存在していた刈田神社、江戸時代初期に建立された弁天堂を起源とする千歳神社や、寛政年間にはすでに存在していた大臼山神社などがある。

虻田郡 豊浦神社(虻田郡豊浦町)
虻田郡 稲荷神社(虻田郡洞爺湖町虻田地区)
有珠郡 大臼山神社(伊達市)
室蘭郡 崎守神社(室蘭市)
室蘭郡 絵鞆神社(室蘭市)
幌別郡 刈田神社(登別市)
白老郡 弁天社(現白老八幡神社 白老郡白老町)
勇払郡 恵比須神社(苫小牧市)
千歳郡 弁天堂→思古津稲荷大明神(現千歳神社、千歳市)
旧社格は、千歳神社が郷社である。

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2009年06月05日 09:39に投稿されたエントリーのページです。

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